日本人の涙からうまれた道路
これまでほとんど歴史に関する記事をアップしてこなかったんですが
実は私、とっても歴史好きだったりします
特に最近気になっているのは
どんな時代背景があって今のまちの形が出来上がっているのかということ
そんな中、ある道路の歴史を知ってそんなことがあったのか!と驚いたことがあります
それが何かというと、
いつも何気なく通っていた道が疎開道路だったということなんです
疎開道路というのは、第2次世界大戦中に空襲による延焼を防止することを目的に
建物を疎開させて敷設・拡幅された道路のこと
特に空襲のひどかった東京・横浜、大阪、福岡など都市部に多いのですが
驚いたことに、ほとんど空襲がなかったと言われている京都の中心部にも疎開道路があったんです
片側2車線が走る幹線道路にまで拡幅されている
そこまで拡幅するために、かなりの数の建物が取り壊されたようです
男性たちがみんな戦争に行ってしまって、女性や子ども、お年寄りしかいないなか
突然立ち退き期限を言い渡される
そして、期限の日には、残された者たちで建物に綱をかけて
力づくで1軒1軒倒していったそうです
ついさっきまで住んでいた家を自ら倒し壊していく
住人たちは一体どんな思いでそれをやっていったんだろうか
戦時中に生活の拠点を失うことの心細さは想像を絶するものだろうけど
戦争に一点集中するためには個人の欲求も抑えて抑えて、ひたすら苦しみを耐え抜く
日本人だからこそ、こんなことができてしまうんだろうなあ
今度は日本の涙の歴史を感じながら、五条通りを歩いてみたいなと思いました