存在価値は自由自在に生み出せる!? その①

突然ですが、みなさんはどんな時に自分の存在価値を感じますか?

誰かに喜んでもらえた
プロジェクトを成功させることができた
社会に貢献できた
有名な賞を受賞したetc

人によって自分の存在価値を感じるときはさまざまだと思います

私の場合は「人の役に立てたとき」

人の役に立てたかどうかで自分の存在価値が決まり、
モチベーションが上がったり下がったりしていました

こんな風に人の役に立つかどうかがバロメーターになったのはいつ頃からでしょうか

 

私は3歳でバレエを習い始め、半年経った頃に初舞台をふみました

幼いながらにも習った振付はしっかり覚えていて自信満々
曲の途中から舞台に出るにも関わらず、出る箇所の音楽はしっかり覚えていて完璧

だったのですが、なんと誘導してくれる係りの女性が合図する箇所を間違えてしまったのです

曲が終ってしまい、途中までしか踊れなかったもんだから
出る箇所間違ってたよって伝えたくて、暗転になる前にその女性のもとへ駆けていった
しかも隣にいた友だちの肩を叩いて一緒に走っていってしまった

そこで母から言われたひとことは


「あんた、何いらんことしてんの!」

私はただ間違っていたことを伝えたかっただけなのですが
暗転になる前に動き、しかも友だちを巻き込んでしまったのがよくなかったようです

この時から、私のID(アイデンティティ)はいらんことしいになり
いらんことしいの私が母から認めてもらうにはどうすればいいだろうかと考えるようになりました

上手にピアノが弾けたらいいのかな
お手伝いができたらいいのかな
先生の言うことがちゃんと聞けたらいいのかな

あれこれやっているうちに辿りついたのがこれ

「そうか、人の役に立つことができたらいいんだぁ!
だって、みんな人の役に立つ大人になりなさいって言うじゃない」

こうして、私の中で「人の役に立てたかどうか」が評価の基準になりました

 

親との関係、学校の先生との関係ではこの基準も十分な役割を果たしてくれたんですが
友だちとの関係では全くあてになりませんでした

というのも、友だちにとって役に立つかどうかで関係性を創ろうとするものだから
友だちとは対等に付き合うことができません

どうしても上=友だち、下=私という上下関係ができてしまうんです

さらに、そんな関係性しか築けない人間なんてちっとも魅力的ではないから
友だちの輪の中にいさせてもらえるように、なおさら役に立とうと頑張るんです

人との関係性を作る術がこれしかないから仕方ないですよね

次第に便利屋のようになっていき

人と関係性をつくることに虚しさを覚えるようになっていきました

友だちでさえいつも気を遣ってばかりで疲れるくらいなら、一人でいる方が楽だなあ
友だちなんて必要ないなあ

人との関係性にそんな諦めを抱えていたときに、思わぬ出会いが訪れるのです


つづく