今ここの選択から未来へ②

クリスマスの大事件をきっかけに、

何をするにも母親の顔色を窺うようになった私。

 

そんな私がどんな風に成長していったかというと、

一言でいえば『優等生』

 

わがままを言わない

母親が言いと思うことは何でも受け入れる

良い成績をとるために勉強を頑張る

やりたくもない習い事をいくつも掛け持ちする

 

母親から褒めてもらいたい、認めてもらいたいという思いで、

必死で『優等生』を演じる日々が始まりました。

 

そんな毎日では、母親がよかれと思う範囲でしか選択の余地はないはずですが、『優等生』であることに必死な私は、どうやら

 

私は自由にやりたいことをやっている!頑張っている!

 

と思い込んでいたようです。

 自分が我慢していることにも無自覚なほどに・・・

 

 正直それほど不自由を感じていなかったのですが、
中学、高校と『優等生』を演じているうちに、
違和感を感じるようになっていきました。

 

あれ?
今、私は何を感じているんだろう・・・
何をやりたいんだろう・・・

 

いろいろ表現したいのに
友達との会話で、自分の思っていることを話せないし
ディスカッションで自分の意見が出てこないのです

 

どうしたんだろう・・・

 

なぜ自由に表現することができないのか理由がわからないままでしたが、
大学生にまでなると、その違和感は確信に変わりました。


私はいつも誰かの判断を基準にして生きている
勉強するにしても、遊ぶにしても、ごはんを食べるにしても
自分がどうしたいのかがわからない
私って自分で何も選べないし決められない『イエスマン』なんだ


その後、私の『イエスマン』ぶりは、ますます加速していくのです


(③につづく)