最近ふと感じたこと

9月に入って雨が多くなりましたね。

みなさん、週末はいかがお過ごしですか?

今回は、題名のとおり最近ふと感じたこと

 

ここ数週間、教育関係のお仕事をされている方とお会いする機会が何度かあり、
教育関連のホームページなどを見ていたときのこと


「社会に役立つ人間に育てるために」
「社会に貢献できる人間性を養う」


というフレーズがよく出てくるのですが、
みなさんは、このフレーズに対してどのような印象を受けますか?

 

私はというと、ものすごい違和感
もぞもぞと気持ちの悪い感じがしたのです

 

今まで感じたことのなかった違和感
これまでの私だったら、むしろ社会で生きていくためには必要なこととして
どうすれば社会に貢献できるだろうと必死で考えていたでしょう


ではこの違和感の正体は何だったのかというと


「これでは絶対個人が活かされないし、変化成長もできない」


そのことが社会の構造からはっきり見えてしまったことです


家庭でも学校でも、大人たちは口をそろえて「社会に役立つ人間になろう」っていって
子どもたちを社会や企業で必要とされる人間を育てようとします
そうすれば、ちゃんと就職できて結婚・出産と「大人」と認められる社会のレールに乗ることができるから

 

でも、それが本当に子どもたち一人一人の可能性、夢や希望を

大事にしているんだろうかと疑問に思ってしまうわけです


本来であれば、子どもたちは無限の可能性でしかなく
いろんなことに興味関心をもって、主体的に行動することができるし
大人にはない自由な発想がどんどん生まれてくるはず

 

子どもたちのその自由な意思と行動力を伸ばし、
主体性を育てるサポートをしていくのが、周りの大人の役割だと思うんです


ですが、現実は全くの正反対
すでに形ある社会や企業に都合よくあてはまる人間になってねーと
子どもたちに順応することを求めてる


これでは、社会や企業という鋳型にはめられて
子どもたちから独立した意思やクリエイティビティが失われていくのは当たり前です


それと同時に、すでに鋳型になって固定されてしまった社会や企業が
画一的な子どもたちを受け入れても変化成長できるわけもなく
さらに停滞していくのも当然


それなのに、社会や企業は容赦なく子どもたちに主体性や創造性を要求してくる

 

これってすごく矛盾しているし

教育で培われる力と社会から要求される力が全くかみ合ってなくて
その板挟みになっている子どもたちが本当に可哀そうだと思うんです


これからの時代、子どもたち個人と社会や企業との間で循環が起きて

その相互作用によって個人の変化成長と社会の進化発展が同時に可能となる

そんな未来を創っていきたいなあと思いました☆