「心のゆとり」を得る
珍しく感じたことを文章にしてみたい!
ということで、今日はもうひとつブログを書いてみることにしました
テーマは「心のゆとり」
現代人はよく「心のゆとりがない」と言われたりします
目の前のことにいっぱいいっぱいで
時間もお金も人間関係もどこもかしこも余裕がない
あまりの忙しさに息苦しくなって深呼吸しようとしても
情報化社会の波もあって、知りたくもない情報まで降ってくるから
次から次へと不信・不安を生み出す要素がいっぱい
情報を取り逃がすまいとアンテナを張れば張るほど情報過多になって
心のゆとりどころではなくなってしまいます
じゃあ、情報を制限すれば、仕事や家事・育児の時間を減らせば、人間関係で疲弊から人と会わないようにすれば心のゆとりが生まれるのかというとそういうわけでもありません
周りの環境を変えて一時的に余裕ができたとしても、自分自身が変わっていないのであれば、またすぐに目の前のことに忙殺されてしまう日々がやってきて、心は落ち着く暇がなくなってしまします
だから、これまで一般的に言われていた「心のゆとり」のイメージを一新する必要があると思うんです
「条件状況によってつくられた心のゆとりでは、部分的な解決にしかならずにすぐに限界がくる
本物の心のゆとりは自らの認識の変化によってつくるもの
全体を認識できるポジションに変化すること」
本当にその通りだなあと思いました
機械的条件反射で目の前の現象に一喜一憂して
常に心が落ち着かないのがこれまでの人間ですが
どんな条件状況であったとしても
不動心を保つことができれば心のゆとりは確保されますもんね
そして、不動心は誰かに頼ってどうにかなるものではなく
自らの認識の変化によってしか得ることはできない
「心のゆとり」が意味するものが180度ひっくり返ったような気がします
にしても、nTechを使ったNoh Jesu氏の解析は本当にすごい!!
他にもnTechならではの解析がたくさんあるので
またご紹介できればなと思います
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆