生きている価値のない自分から価値を創造する私へ①

「こんな生きている価値のない自分なんて死んでしまえばいい」
 
 
実は、これまで十数年間、定期的にこの思いに苦しんできました
 
普段、日常ではほとんど感じることはないのですが、
ふとした瞬間、強烈な孤独と怒りが湧きあがってこの思いに襲われるんです
 
 
私は小学校に入学した頃から早く大人にならなければと思っていました
おそらく何でも一人でこなしてしまう母をモデルにしていたんでしょう
だから子供じみた甘えは許されないし
母が求める社会常識を身につけることを第一優先にして
家庭でも学校でも習い事でも、どこに行っても優等生であろうと頑張っていました
 
そのためにはまず我慢
自分のやりたいことや欲しいものがあっても、反対されるようなら望まない
やりたくないことでも、それが周囲から求められているなら無理をしてでもやる
特に意識しないでも、そうすることが習慣になっていました
 
 
最初のうちはそうやって優等生でいることに成功していたのですが
次第にひずみが生じるようになりました
 
まず学校の勉強
暗記は得意だったのでよかったのですが、
暗記だけで越えられない場面が多くなっていきました
図工や作文など自由な発想と芸術性が必要とされることもそうです
 
次に友達との関係性
自分の気持ち感情を抑えて優等生でいることを優先していたため
自分が何を感じているのか、本当はどうしたいのかがわからなくなっていました
インプットした情報が自分の中に入っても、気づき感動が生まれることが少なく
新しいアイデアや考えとしてアウトプットされることがほとんどない状態
周囲に正解を求めていたので、自分の中から生まれてくるものが何もないんです
だから、友達にも本音で話すことができず
親友と呼べる関係性もつくることはできませんでした
 
優等生でいられなくなることへの不安がどんどん膨らんでいくものの
どうすればその不安を解消できるのか全く見当もつかず
ひらすら耐える苦しい毎日でした
 
 
そうこうしているうちに歳を重ね、高校生になるころには同級生たちとの相対比較で
自分の小ささしか感じないようになっていました
 
こんな自分が友達に受け入れてもらえるようになるにはどうすればいいんだろう
こんな面白くもなんともない私がグループに居続けるにはどうすればいいんだろう
 
同級生たちにどう思われているかが気になり
とにかく彼らの視線が怖くて仕方ありませんでした
 
この頃からです、みんなの役に立つ人間になることが私の最優先事項になったのは
そうならないと、自分の存在価値がなくなってしまうから
 
友達の役に立つには?邪魔にならないためのポジションは?
あまりにも周囲に気をつかうので、友達と一緒にいることさえ疲れてしまう始末でした
 
 
そうして社会人になるころには立派な便利屋が誕生します
気の許せる友人もなく、便利屋であることしか人と関係性を築けない状態では
全く生きている意味も価値もなく、何の存在価値もない
 
ひたすら孤独で寂しくて仕方なく
読書やミュージカルなどにはまり込んで現実逃避する毎日でした
 
ですが、同時に、人生かけて思い切り何かに打ち込みたい、
思い通りに生きてみたいという欲求も心の奥底にくすぶっていて
私はこんなもんじゃない!もっとできるはずなんだ!
こんなに小さくさせられていること、正当に評価されないことに対する怒りが
ふつふつと沸いてくるのです
 
自分では気づかないほどに少しずつ少しずつ孤独と怒りが溜まっていき
頂点に達したとき、まさにダムが決壊するように激しく涙となって溢れ出すのです
 
定期的に繰り返す上に、自分の中で何が起こっているのかわからなかったので
もっと知識が増えれば自信がつくだろうと雑学を学んでみたり
資格をとって自立できるようにしようと国家試験を目指してみたり
楽しさで孤独を忘れることができるかもしれないと趣味に没頭してみようとしたり
自分の思いつく範囲でいろいろ試みたものの、どれも長続きせず失敗に終わりました
 
 
孤独と怒りを抱えたまま、何の面白みもない、生きている意味価値も感じられない
人生がこのまま一生続くのだろうか・・・
半ば諦めていたとき、友人の紹介で出会ったのがNoh Jesu氏と
彼が開発したnTech・認識技術でした
 
 
この出会いから、緩やかにでも確実に
私の人生は大きく反転していくことになるのです
 
(②につづく)