不登校の問題から思うこと

こんばんは!
昼間とはうって変わって心地よい夜風に吹かれながら

昨日配信されたNohJesuメルマガの内容に思いを巡らせています。

 

今回のテーマは「不登校の問題が投げかけるメッセージとは?」
 
学校以外でも多様な学びが提供されるようになった現在でも
不登校が一向に減らない原因について言及されていました。
それは、「本当の学び・教育とは何なのか?」という本質的な問いにも繋がります。
 
そこで思い出したのが、小学校から大学まで、私は「不登校」とは無遠だったなあということ。
 
比較的学校の勉強が得意、つまりそれは暗記教育が得意ということなんですが、
やればやるほど知識が増え、解答できる問題が増え、テストでいい点がとれる
単純に知的好奇心が満たされることが楽しかったし、
それによって、先生の褒められたい、親に認められたいという私のマインドームが満たされていたこともあって
学校教育に対して特に物足りなさや不自由さを感じていなかった背景があります。
 
だから、むしろ不登校はいけないことというマイナスイメージが強かったし、
実際に不登校になっている人の気持ちがわからず、一体何を不満に思っているのだろうと疑問に思うこともありました。
 
メルマガの中で、Noh Jesu氏はこう書かれています。
 
「人間は本来、何のためにどう生きるべきなのでしょう?
自分だけが成り上がるのではなく、人類全体を底上げし、Win-win AllWinの現実を創っていくためにはどうすればよいのか?
それを教えるのが本当の教育だと思います。」
 
メルマガを読んで、私は今まで「教育」というものを全く受けてこなかったんだなあとショックを受けました。
私が受けてきたのは、人間がロボットと同じようにボタンを押せばオートで考え感情を生産する”機械化教育”だったんだなあと。
 
私個人で言えば、機械のように知識・やり方を覚えて良い点数を取り、
それによって自分の承認欲求を満たすことを繰り返しやっていただけだったんです。
たまたま上手い具合に自分の承認欲求が満たされて不登校にならずに済んだというだけで、学校教育の限界は訪れていたんですね。
 
今後AIの台頭によって無用者階級が量産され、かつてない格差社会になると予測されている時代
学校教育の限界にいち早く気づき、これからの時代を担っていく子どもたちが真の教育を受けられる環境を創っていきたいものですね。