川崎殺傷事件を通して

先日、男性が路上で刃物を振り回し、
スクールバスを待っていた小学生や保護者に多くの死傷者が出た事件がありました。

 

マスメディアでは捜査の状況や犯行の動機、犯人の生い立ちや性格などさまざまなことが報道されていますし、
SNSなどでも各個人が思うことが自由に発信されていますね。


私としても、近年、悲惨な事件が頻繁に起こるようになっていて、
またこのようなことが…と悲しみと時代に対する諦めのようなものが胸に湧いてきます。

もちろん、このようなことはあってはならないこと。
可能ならば、突然日常が奪われるような事件が起こることなく、誰もがいつも笑顔で幸せに暮らせたらいい。

でも、同時に、この事件を通して思うのは、
個人の力ではもうどうにもできない現代人の悲痛な心の叫びが殺傷事件として現れているんじゃないだろうかということです。

AIまで登場するほど科学技術が進化発展し、個人の力が到底及ばない民主主義・資本主義の流れに躍らされるなかで、
個性や多様性がもてはやされるほど何を信じていいのかがわからない時代
情報量の多さから他者との相対比較が激しくなって、自分の能力のなさだけがどんどん明確になっていく時代
富と権力がわずかな一部の人に集中して、ますます格差が開いていく時代

どこを見まわしても、息苦しさを突破できるような解決策は見当たらず
生きる希望なんて持てない・・・
時代や社会に対するやり場のない怒りがエネルギーとなって噴出した結果なのではないでしょうか。

このような男性を生み出した時代背景、社会の海を考えると
時代の変化、社会の変化が早急に求められていると感じました。


より多くの人と、時代の限界をひっくり返して新しい時代をつくっていきたい!
今回の事件を通して、改めて感じました。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございました☆